夕方になると、手桶を片手に下駄を鳴らして銭湯へ向かう。煙突から立ちのぼる白い湯けむりが、その日のお風呂が沸いた合図でした。家にお風呂がない家庭も多く、近所の人たちと「いってらっしゃい」「お先に」と声をかけ合いながら通ったものです。
今では、各家庭にお風呂がそなわり、好きな時間にひとりでゆっくり湯につかれるようになりました。便利になった一方で、湯けむりの向こうにあった、あの賑やかなご近所づきあいを思い出す方も多いはずです。お風呂をめぐる毎日の風景を、昔と今でたどってみましょう。
通う場所
かつては内風呂のない家が多く、夕方になると町じゅうの人が銭湯をめざして歩きました。のれんをくぐると番台があり、おかみさんやご主人が「おかえり」と迎えてくれる。脱衣所の籐のかごに服を入れ、広い湯船にゆったり手足を伸ばす時間は、一日の終わりのごほうびでした。
今は蛇口をひねればいつでもお湯が出て、わざわざ出かけなくても自宅で入浴できます。歩いて通った銭湯の道のりや、すれ違う人と交わしたあいさつは、今では懐かしい思い出の風景になりました。
持ち物
銭湯へ行くときは、洗面器に石けんや手ぬぐい、シャンプー、家族の分のタオルを入れて抱えて行きました。黄色いケロリンの桶を覚えている方も多いでしょう。湯上がりに使う糠袋やナイロンタオル、子どもの着替えまで、あれこれ詰め込んだ荷物は、いかにも銭湯通いらしい光景でした。
今は浴室に石けんもシャンプーも常備され、タオルも棚に積んであります。手ぶらで入れる気軽さはありがたいものですが、道具一式を抱えて出かけたあの準備のひと手間も、どこか楽しい時間だったように思えます。
街の風景
商店街の一角には必ずといっていいほど銭湯があり、夕暮れには煙突から湯けむりがのぼりました。富士山の絵が描かれたタイル壁、高い天井、木札の下足箱。男湯と女湯を仕切る壁の上で交わされる夫婦の会話まで、町の暮らしにとけこんだ風景でした。
今では昔ながらの銭湯は数を減らし、かわってサウナや露天風呂、食事処までそろったスーパー銭湯や日帰り温泉が休日の楽しみになりました。広々とした施設でくつろぐのも気持ちのよいものですが、湯けむりののぼる町角の銭湯を懐かしく思い出すことがあります。
湯上がりの一杯
湯から上がると、脱衣所の片隅に置かれた冷蔵庫の前へ。腰に手を当てて、よく冷えた瓶の牛乳やコーヒー牛乳、フルーツ牛乳をぐいっと飲み干す。あの一杯のおいしさは格別でした。栓を抜く音や、空き瓶をかごに戻すカチャンという音まで、湯上がりの楽しみの一部でした。
今はお風呂から上がれば、そのまま居間で麦茶を飲んだり、テレビを見ながらくつろいだりと、家のなかで思い思いに過ごします。便利になった分、あの瓶の牛乳を立ち飲みした高揚感は、銭湯ならではのごちそうだったと感じます。
人との交わり
湯につかりながら、隣り合った人と「今日は冷えますね」と世間話がはじまる。子どもの成長や近所のうわさ、料理のこつまで、湯けむりのなかで自然と話がはずみました。背中を流し合ったり、年配の方が小さな子に体の洗い方を教えたり。銭湯は、世代を越えて人がふれあう場所でもありました。
今は家族だけで、あるいはひとりで静かに湯につかります。気がねなく過ごせる心地よさがある一方、見知らぬ人と肩を並べて交わしたあの何げない立ち話は、今思えば温かなつながりだったのだと感じます。
入る時間
銭湯にはのれんを出す時間としまう時間があり、夕方の早い時間はお年寄り、仕事帰りの人は夜にと、自然と顔ぶれが移り変わりました。閉店間際に駆け込んで、番台のおかみさんに「もう終いだよ」と笑われた、そんな思い出のある方もいるでしょう。決まった時間に通うからこそ、いつもの顔ぶれと出会えたのです。
今は給湯器のおかげで、朝でも夜中でも好きなときにお湯を沸かせます。自分の都合に合わせて入れる自由さは、なんとも便利なものです。それでも、町の時計のように決まった時間に灯った銭湯の明かりを懐かしく思い出します。
お風呂をめぐる風景は、銭湯から家のお風呂へと大きく移り変わってきました。便利で気軽になったぶん、湯けむりの向こうにあった賑わいや、ご近所との何げないふれあいが、いっそう懐かしく感じられます。
ケロリンの桶、瓶のコーヒー牛乳、番台のおかみさんの笑顔。ご家族で「昔はこうだったね」と語り合えば、思いがけない思い出話が次々とあふれ出すかもしれません。湯上がりのひとときに、どうぞ昔のお風呂の話に花を咲かせてみてください。
湯けむりの向こうにあった暮らしの風景は、語り合うだけでなく、書きとめて残しておくこともできます。ご家族の歩んできた日々を一冊の記録にまとめておけば、その温かなひとこまを、次の世代へと伝えていけるはずです。