「パチパチ」「ご破算で願いましては」。そろばんの珠をはじく音と、あの独特の掛け声。木の枠に並んだ珠を指先でさっと動かして数を出したあの感覚を、今でも覚えている方は多いはずです。ランドセルのわきにそろばんケースをぶら下げて塾へ通った日々や、事務所に響いた珠の音は、昭和の暮らしの一場面でした。
今では計算といえば電卓のボタンを押すか、スマホの画面をタッチするのが当たり前になりました。道具はすっかり様変わりしましたが、指先が覚えている珠の感触はふしぎとよみがえってくるものです。そろばんから電卓・スマホへ、計算の道具がどう移り変わってきたのか、なつかしい情景を一緒にたどってみましょう。
計算の道具そのもの=珠をはじくか、数字を打つか
そろばんは五玉と一玉が横木で仕切られ、右手の親指と人差し指で珠を上げ下げして数を表しました。定位点に指を置き、「願いましては」の合図で一気に珠をはらう。あの一連の動きには、頭と指がぴったり息を合わせる気持ちよさがありました。
今は電卓のキーをたたけば答えがすぐ表示され、スマホなら電卓アプリを開いてタッチするだけ。珠の位置を読む必要はなく、液晶に出た数字をそのまま写せば済みます。道具は軽く小さくなり、ポケットにもすっぽり収まるようになりました。
習い事としての珠算=塾に通い級や段を目指す
放課後になると、そろばんを抱えた子どもたちが塾へ向かいました。先生が読み上げる問題を聞きながら珠をはじき、検定試験に向けて級を一つずつ上げていく。三級、二級、初段と昇っていくたびに合格証をもらい、家族に見せるのが誇らしかったものです。友だちと級を競い合ったり、そろばん仲間ができたりと、塾は学びと交わりの場でもありました。
今は計算を道具にまかせられるので、そろばんは習い事の一つという位置づけに変わりました。それでも珠をはじく楽しさや、級を目指してこつこつ取り組む充実感を求めて、今もそろばん教室に通う子どもたちがいます。道具は変わっても、一つずつ上達していく喜びは受け継がれています。
商店の会計=番頭さんのそろばんか、自動のレジか
町の八百屋さんや呉服屋さんでは、帳場にどっしりと座った番頭さんが、お客の買い物を頭の中とそろばんで手早くまとめていきました。「はい、しめて〇〇円」と珠をはらいながら告げる声には、長年の経験がにじんでいたものです。大きなそろばんが帳場の定位置に置かれ、店の顔のような存在でした。
今はレジに商品のバーコードを通せば合計もおつりも自動で出て、キャッシュレスなら現金のやりとりすらいらない場面も増えました。手早く正確なのはありがたい一方で、番頭さんが珠をはじく音や、そろばんをぱちりとおさめるしぐさには、今では味わえない独特の風情がありました。
暗算と読み上げ算=腕を競うか、アプリにまかせるか
「読み上げ算」では、先生が「ねがいましては、二円なり、五円なり……」とリズムよく数を読み上げ、それを聞きながら次々と足していきました。何桁もの数を頭の中で処理する暗算の名人がいて、電卓より速く答えを出す人もいたほどです。珠算大会では、そうした速さと正確さを競い、会場は静かな熱気に包まれました。
今はスマホのアプリに数字を打ち込めば、複雑な計算もあっという間に答えが出ます。だれでも同じように正確な結果が得られるのは便利なところです。ただ、頭の中だけで大きな数をさばいてみせた、あの名人芸のような暗算のわざは、昔ならではの見せ場だったといえるでしょう。
頭の中の計算=珠を思い浮かべるか、画面を見るか
そろばんに慣れた人は、目の前に珠がなくても、頭の中に珠の並びを思い描いて計算しました。これは「珠算式暗算」とも呼ばれ、数字を映像のように動かして答えを出すやり方です。空中で指を動かしながら計算する人の姿を、見かけたことのある方もいるでしょう。数を「形」でとらえる、そろばんならではの感覚でした。
今は画面に表示される数字を目で追いながら入力していくのが一般的です。手元を見て確認しながら進められるので分かりやすく、確実です。頭の中に珠を描くという独特のやり方は、そろばんを深く学んだ人の記憶の中に、今も静かに残っています。
計算の音=珠のパチパチか、静かなボタンか
会社の事務所や商店の帳場では、いくつものそろばんが同時に鳴り、パチパチという珠の音が一日じゅう響いていました。決算の時期になると、その音は一段とにぎやかになったものです。ご破算にするときの「さらさら」という珠をはらう音も、耳になじんだ懐かしい響きでした。音そのものが、仕事場の活気を伝えていました。
今の電卓やスマホは、押しても静かなもの。オフィスは以前よりずっと物音が少なくなりました。便利で快適な反面、あのにぎやかな珠の音が消えたことを、少しさびしく感じる方もいるかもしれません。音の記憶は、その時代の空気まで一緒に運んできてくれるものです。
そろばんから電卓、そしてスマホへ。計算の道具は移り変わってきましたが、指先が覚えている珠の感触や、あのパチパチという音は今もよみがえってくるものです。「そろばんは何級までいったの?」「読み上げ算、速かったんだよ」。そんな昔話は、ご家族の会話をあたたかく弾ませてくれます。
もし押し入れにそろばんが眠っていたら、久しぶりに取り出して珠をはじいてみるのも一興です。孫やお子さんに使い方を教えながら、当時の思い出を語り合う。そんなひとときが、なつかしくて楽しい時間になりますように。