昭和三十九年、一九六四年の十月。秋晴れの空に色とりどりの飛行機雲で五つの輪が描かれた開会式を、テレビの前でわくわくしながら見守った方も多いはずです。アジアで初めて開かれたオリンピックは、日本じゅうが一つになって沸いた、忘れられない出来事でした。
聖火ランナーが国立競技場に駆け込んだ瞬間、女子バレーボールの東洋の魔女が金メダルを決めた夜、マラソンの選手が街道を走り抜けた姿。あの頃の熱気と、近頃の大会の楽しみ方を並べてみると、変わったところとそうでないところが見えてきます。ご家族で当時の思い出を語り合うきっかけにしてみてください。
白黒テレビにかじりついて
画面の中の選手の鉢巻きやユニフォームの色を、自分の頭の中で思い描きながら応援したものです。砂かぶりのように画面に近づき、家族みんなで身を乗り出して見守った。あの白黒の画面に映る選手の汗や表情こそが、何よりのごちそうでした。
今では会場の旗の色も、選手の国の色も、鮮やかなまま茶の間に届きます。録画して何度も見返したり、見逃した競技をあとから配信で追いかけたり。楽しみ方の幅はぐっと広がりましたが、画面の前で手に汗握る気持ちは、あの頃と少しも変わりません。
ご近所みんなで一台を囲んで
テレビがまだ各家庭になかった頃、夕方になると「今夜は観に行ってもいいかね」と声をかけ合い、座布団を持ち寄って画面の前にぎゅうぎゅうに座ったものです。お茶やお菓子が回り、得点が入るたびに茶の間じゅうから歓声があがりました。
今は一人ひとりが好きな場所で、好きな競技を選んで見られます。離れていても、同じ試合を見ながら電話で「今の見た?」と言い合える。集まり方こそ変わりましたが、誰かと一緒に喜びを分かち合いたい気持ちは、昔も今も同じです。
新幹線が走り出した秋
開会式のわずか九日前、東海道新幹線が東京と新大阪を結んで走り出しました。首都高速道路が次々と開通し、街の風景が日に日に変わっていく。「世の中が新しくなっていく」という高揚感と、オリンピックの興奮が一つになった特別な秋でした。
近頃の大会でも、新しい競技場や交通の話題、聖火をつなぐ道のりなど、その時々の出来事として語られます。あの秋に新幹線に初めて乗った日のこと、街にビルが建っていった様子。ご家族で「あの頃はこうだった」と当時の風景を思い出してみるのも楽しいものです。
ラジオと新聞で結果を知る
仕事や畑に出ていて試合を見られなかった日は、ラジオの実況に耳を澄ませたり、翌朝の新聞のメダル一覧を真っ先に開いたり。新聞に載った選手の写真を切り抜いて、大切にとっておいた方もいらっしゃるでしょう。
今は手元の画面に勝敗がすぐ届き、選手の様子もその場でわかります。便利になった一方で、翌朝の新聞をめくって結果を確かめたあの待ち遠しさには、独特の味わいがありました。じっくり待って知る楽しみも、今となっては懐かしい思い出です。
家族そろって応援した夜
夕飯の手を止めて、おじいさんもお孫さんも肩を並べて画面を見つめた。日本選手が勝てば手を取り合って喜び、惜しくも敗れれば一緒にため息をついた。あの一体感は、家族の大切な思い出として心に残っています。
今は子や孫が遠くにいても、同じ試合を見ながら「やったね」と気持ちを伝え合えます。会えなくても、好きな選手の話題で世代を越えて盛り上がれる。応援する相手が同じなら、離れていても心は一つ。形は変わっても、家族で喜びを分かち合う温かさは続いています。
二つの大会を重ねて語る
一九六四年のあの秋を覚えている方なら、同じ東京で開かれた近年の大会と見比べて、「街もずいぶん変わったね」「でも応援する気持ちは同じだね」と感じられたことでしょう。
どちらの大会にも、その時々の暮らしや家族の姿が映り込んでいます。あの頃はどんな様子で見ていたか、誰と一緒だったか。二つの時代の思い出を行き来しながら語り合えば、話は尽きません。世代を越えて受け継いでいける、大切な記憶です。
白黒テレビの前で一つになったあの秋から、長い時間が流れました。観る道具や集まり方は変わっても、選手を応援する胸の高鳴りや、家族で喜びを分かち合う温かさは、今も昔も変わりません。ご家族が集まったとき、「あの大会、どうやって見ていた?」と、当時の思い出をゆっくり語り合ってみてください。きっと、笑顔のあふれるひとときになるはずです。
あの秋の高揚も、家族そろって応援した夜のことも、語り合うだけでなく書きとめて残しておけます。ご家族の歩んできた時代を一冊の記録にまとめておけば、その情景を、次の世代へとそのまま伝えていけるはずです。